水環境保全活動奨励賞 受賞



水環境保全活動奨励賞 授賞式及び記念講演

於:2026年度 関東支部 総会・特別講演会 
日時:2026年6月6日(土)14:30〜15:30
場所:日本大学理工学部駿河台キャンパス8号館
参加者:94名 (会場57名、オンライン37名)

野川ほたる村 受賞理由

野川ほたる村では、森、川、草原を一体とした自然環境を維持するために、40年という長い間、様々な環境保全活動を実施しています。その中でも、「ハケの森の保全・観察会」に関しては、専門家の意見を聞きながら植生調査及び保護活動を長年継続して行い、地域の一般市民の水環境保全意識高揚に資しており、また、自然を守ろうとする人々や学校等と連携して野川をエコロジカルな文化発祥の拠点とみなし普及啓発活動しています。これらの活動を総合的に鑑み、水環境保全活動奨励賞にふさわしい団体として表彰するものです。
 表彰式では、山崎支部長から各受賞団体の代表の方へ賞状と副賞が授与されました。その後、野川ほたる村の江頭様から、これまでの活動等について受賞講演をしていただきました。江頭様からは、野川ほたる村の歴史のご紹介や活動における苦労と保全再生の喜びについてお話いただき、40年という長い活動を知ることができました。
 講演後には活発な質疑応答が行われ、受賞者、参加者とも今後の活動に参考となる意見が多く交わされました。

受賞記念講演 (要旨)

野川のゲンジボタル復活 ― 40年の歩みから見える自然再生の本質 ―

            野川ほたる村  村長   江頭 輝

T.野川公園の開設と「野川ほたる村」の始まり・発展・混迷
野川公園の誕生と環境整備(昭和49〜56年)
 昭和49年に野川公園の用地買収が始まり、翌年には広域公園として都市計画決定が行われた。
 昭和55年6月1日に正式開園し、昭和56年には小金井市の下水道が完成して野川は水質が改善へ向かった。
この水質改善が後のホタル復活の前提条件となった
1.自然観察園の整備構想(昭和60年)
松永黎俊 第2代所長の着任(昭和60年4月)
 松永所長は着任直後に、水田の再現とホタル復活という構想を掲げ、市民に協力を呼びかけた。
 水田再生、ホタルの復活という自然再生の理念が、後の野川ほたる村誕生の原点となった。
2.ホタルの里づくり(昭和60-61年)
市民参加の広がり
 小金井市や三鷹市などの市民が対話集会を重ね、ホタルの復活という願いが結束し、組織づくりが始まった。
野川ほたる村の設立(昭和61年6月)
 ボランティア環境団体として発足し、真の官民協働を目標に掲げた。
 復活対象は、止水域のヘイケボタルは断念し、清流復活の象徴としてゲンジボタルとした。
学習と調査の徹底
 キャラバンをくみ、辰野町、白州町、舞岡川など14か所を訪問し、飼育方法と環境整備を学んだ。
運営基盤の確立
 都市緑化基金の助成金を獲得し、組織運営体制を整えた。
3.里親制度と飼育マニュアル(昭和61〜63年)
佐野匡氏の飼育マニュアル
 長年の経験をもとに作成された飼育マニュアルに基づき、15人の里親が9か月間自宅でカワニナとホタルの幼虫を飼育した。
初年度(昭和62年)
 4月に、幼虫45頭を放流し、6月に10頭が羽化し飛翔した。3日間で延べ1500人以上が来園し、大きな感動を呼んだ。
2年目(昭和63年)
 終齢幼虫84頭を放流し、30頭が飛翔した。カワニナ不足を補うため湧水地に養殖場を設置した。
4.自然観察園・自然観察センターの開園(昭和63年)
 東京都とほたる村の共催で開園式が行われ、「ホタルよ、よみがえれ」が全国的な自然再生運動の象徴となった。
 第1回ホタルまつりが開催され、村民は200名以上に増加した。
 一方で、公園側が独自のボランティア制度を開始し、協働の揺らぎが生じ始めた。
5.協働の成功と混迷(平成元〜12年)
協働がうまくいった時期(昭和61〜平成2年)
 放流と飛翔観察会が順調に行われ、公園とほたる村の協働が機能していた。
混迷の始まり:里親制度の廃止(平成3年)
 次の管理所長の判断で里親制度が廃止され、飼育が管理所の一元管理となった。
 これにより多くのボランティアが離脱し、官民協働の崩壊につながった。
 平成3〜5年にかけて放流は続いたが成果は限定的であった。
観察会は夏の名物行事として継続した。 指定管理制度への移行と放流中止(平成8年〜11年)
 平成8年に指定管理に移行し、職員と経費が削減され、平成10年に放流が中止され、翌11年に飼育放流が完全停止となり、  官主導のホタル事業は終わった。
ボランティアによる自主運営(平成12年以降)
 少数のボランティアが環境の維持を継続し、カワニナ養殖や幼虫養殖を行いながら、ホタルの灯を守り続けた。
6.ホタルの飼育技術の再確立
 失われつつあった飼育技術を再構築するため、山田健二さんが二段式飼育装置を自作し、幼虫8頭のうち7頭を羽化させた。
カワニナ消費量の基礎データも得られ、技術再確立が進んだ。

U.苦渋の駆除決断と、野川での自然発生という逆転劇
1.ゲンジボタルの駆除という苦渋の決断
遺伝的問題の浮上、西型の自然消滅を選択
 東型と西型の交雑問題が指摘され、平成13年、「ゲンジボタルの形態と発光パターンの地理的変異」(大場信義)などの論文が発表された。
 20 年代になり、「糸魚川〜静岡構造線より以東に位置する東京では東型でないといけない」との学説に従い、ホタル幼虫は放流せず、  西型ホタルの消滅を図ることにしました
 平成26〜29年に4年間、駆除を実施したが、毎年発生が続き、環境適応の可能性が示された。
 そこで、平成30年は、駆除を止め、発生状況を確認したところ、ホタルの里で18頭が飛翔した。
2.野川にホタルが大発生した理由
 上流での別の市民が放流していたが定着しなかった、放流年のみ発生し、翌年には消える状況が続いていた。
 このため、野川での自然発生は無理だと考えていた。 平成30年、野川で27頭が飛翔し、自然発生と判断した。
 転機となったは、平成29年台風21号の豪雨でホタルの里の水路が溢れ、幼虫とカワニナが野川へ流出しのだ。
 その年、野川は水量が多く、ホタルの幼虫もカワニナも生き残ったようだ。
 人ではなく、自然が放流したのだ、洪水による種の拡散が実際に起きのだ。
 その後の急増
 令和元年35頭、令和2年50頭、令和3年150頭、以降200頭を超えて発生しており、野川に適応して、野川の生態系の一部として機能し、  既に定着個体群が形成されたようだ。
 令和8年は1月から瀬切れが始まり、6月迄、稀に見る酷い瀬切れの年あったが、それでも212頭が飛翔した。
 野川が干上がった年でも、ホタルの発生が続き、強い適応力が示された。

V.野川のゲンジボタルが直面する三つの課題
1 頻発する瀬切れ
2 西型と東型の交雑問題
新研究の示唆(鈴木論文 R4年)
令和4年に、『自然状態では、西型(2秒型)と東型(4秒型)の交雑は起らない』という論文(鈴木浩文)が発表されました。
 このような流れで、ほたる村は、新たな保全方針案を検討している。
 (1)野川に適応した定着個体群として扱う
 (2)都市河川の生態系健全性を示す指標生物となる
 (3)他地域への移送は行わない
3 都市河川ならではの人為的撹
 SNS拡散による観察者の増加が生殖行動に悪影響を与え、昼間の採集行動も野川の生息環境を悪化させている。
 自然保護と利用の両立が課題であり、そのルールづくりが不可欠である。

W.終わりに ゲンジボタル教えてくれたこと
 都市の小河川での自然再生は極めて困難である。観察を重ね、小さな手当を積み重ねても、豪雨で一夜にして成果が失われる。
 多くの人が心折れ去っていき、半生を捧げながら飛翔を見ずに亡くなった人もいる。
 ほたる村は、40年の歳月を経て、自然再生の難しさを知った。
 自然は人の思い通りにはならない。
 観察を続けて、学び、修正し、また観察する。その繰り返しの先に、野川のホタルの復活がある筈だ。


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