「野川にホタルを再生」プロジェクト

  プロジェクトの始まり
昭和60年、野川公園の整備のために赴任した松永黎俊所長が、緑の監視員に「田んぼを再生して、ホタルを復活しませんか」 と呼びかけて、市民参加の公園づくりが始まった。 そして、市民アンケートによって自然観察園に、「ほたるの里」がつくられた。
昭和62年、当時、多摩動物公園の矢島稔さん(現・ぐんま昆虫の森名誉園長)の紹介で、ホタルの幼虫を入手し、



村民の有志各自が、自宅でホタルの幼虫とカワニナを与えて育て、4月2日に「ほたるの里」に放流して、約30頭のホタルが飛翔した。
これを「ホタルの里親制度」と呼んで、村民は各地に勉強に出かけ、ホタルの育て方を熱心に学び、実際に試みた。 昭和63年には、広く市民向けて、第1回ほたる祭りとホタルの観察会を実施した。
例えば、彦坂さん宅では水槽に養殖環境をつくり、5頭の幼虫とカワニナを育てて、5頭全部が羽化し育っている。
平成3年に第4回ほたる祭りと、ホタルの観察会を実施し、さらに、野川ほたる村が呼びかけて、第1回の「東京ホタル会議」を開催した。 このような村民の熱心な努力で、上手く育ち、この仕組みは定着するかにみえた。


野川公園事務所は、市民が主役の「ホタルの里親制度」に異議を唱えて、独自採用のボランテェアと大型水槽で養殖を開始した。 ホタルの採卵、養殖、カワニナの養殖、そして、「ホタルの里」へ放流し、観察会も実施したが、あまり上手くは定着しなかった。

そんな経緯の中で、公園事務所とほたる村との関係はまずくなり、平成3年に「ホタルの里親制度」は、公園事務所によって止めさせられた。 その後は、公園スタッフとボランテェアだけが排他的に、ホタルの幼虫とカワニナを養殖し「ほたるの里へ」の放流を続けた。

そのような状況がつづき、平成15年に、野川公園ボランテェアの菊島さんは、ホタルグループを組織し本格的に取り組み始めた。そして同年、横山さんが加わり、ホタルの里での環境づくりやホタルの幼虫とカワニナの養殖などに努め、途絶えることなく、15年以上も活動は続いてきた。
一方、野川ほたる村の村民たちは「ほたるの里」での活動を断念した後は「野川をホタルが住めるような環境にしよう」という活動に転換した。そして、野川の水量調査や水生生物の生息調査を継続して実施した。また、市民を対象に、昆虫観察会や 植物観察会を活発に開催してきた。その主な場所は、第一調節池であり、池や田んぼを造ろうという活動を行った。

  故鍔山英次氏の平成元年の手記
  昭和63年末、大岡昇平さんは40年ぶりに野川を訪れ、その時に書かれたエッセイ「湧水ふたたび」の最後をこう結んだ。 戦後の日本文学を代表する老作家がなんのためらいもなく”わが青春は・・・”と言いきることの凄さを思った。 野川の岸辺に立ったその日、大岡さんは少年のように無邪気だった。
双眼鏡を胸に、登山帽にスニーカーといういでたちで、立ち入り禁止の立札を無視して川に近づいたり、湧水を口に含んだりした。 変わってしまった四周の風景を見ながら、川の流れを手がかりに昔日の記憶をたぐり寄せているようにも見えた。 そうした動作のなかに、代表作の一つ「武蔵野夫人」の舞台となった野川に寄せる作家の思いの探さがうかがわれた。 野川再訪の案内役をつとめるはずだった私たちは、逆に老作家の四十年前の野川の様子を聞きながら、いつの間にか美しい野川に遊んでいたような気がする。
散策のあと湧水を沸かして入れたコーヒーを美味しそうに飲みながら、大岡さんは誰にともなく「あの川にもう一度ホタルが 舞うようになればね」ともらした。 いまになって、あれはわれわれに手渡した書置きだったように思われるのだが。

  平成期にも続いた努力
平成17年、山田さんは、東村山市に住むホタルサミットの会員からホタルの幼虫を32匹分けてもらい、 山田さんが8匹を育て、13匹を中村美術館裏の水路に放流した。 山田さんは、持ち前の緻密な工作力で、水槽と網箱の2段セットを作り、幼虫にカワニナを与えて育て始めました。 水槽で、幼虫に適切に餌を食べさせるのは容易なことではない。毎日、細かく観察を繰り返して、小さい幼虫には小さいカワニナが必要だ、しかし、これは難しい。そのかわりに、不安の中でも小さい二枚貝を探してまわり、苦労を重ねたという。 そして、ある日の夕方、帰宅したら、暗い網箱の中で、ゲンジボタルが翡翠色の光を放って、感動の瞬間を迎えることができたという。


一方、山田さんが美術の森に11匹を放流した幼虫が、翌18年に羽化し、源氏ホタルが8頭飛翔した。翌々年には、 30頭以上が飛翔し、はけの小路の水路でも、翡翠色のホタルの飛翔がみられた。
その後も毎年、馬目さんが、続いて横山さんが観察を続け、平成3O年まで発生を確認しました。近年になっても、 野川ほたる村の横山さんが、水路を塞ぐ過剰な落ち葉を取り除き、流れを維持したり、アメリカザリガニを駆除したり、 生息環境の維持に努めてきましたが、天敵のザリガニも絶えることなく、年々飛翔頭数は減少した。
そして、令和元年の干ばつで、長期にわたって水路が干上がり、ホタルの飛翔は見られず、ホタルは絶えたとみられる。

  令和の奇跡
  平成30年(2018)6月驚くべき事が起きました。
自然観察センター北側にある野川の柳橋から桜橋間に、”ホタルが自然発生”したのです。 ”野川本流で自然発生”したのです。「ほたるの里」では、長い間あれほど苦心しても、増えることの なかったホタルが”野川本流で自然発生”したのです。
みんなは”奇跡”だと喜びました。

柳橋の北側、土手沿いに「ほたる川」があり、自然観察園内の「ほたる池」から暗渠がある。 前年の台風で、園内の水路の大洪水により幼虫が流出したのでしょう。
昨年令和元(2019)年、さらに今年令和2(2020)年もコンスタントに発生すれば3年目であり、 皇居吹上御苑のホタル再生の例から、一応定着したと考えられる。

 令和元(2019)年の発生状況
5月月下旬から10頭前後が発生し、6月3日は最多の35頭となり、6月下旬には発生しなくなった。 発生〜終了まで32日間のドラマであった。

  今後の対応
  ほたる村村民であり野川公園ほたるグループのメンバでもある横山さんは語る 『「野川ほたる村」の当初の活動の原点である、野川でのホタルを飛ばせる環境を! という本来の目的にかなった状況が到来し、この目的に向かっての出番である』と。 そして、ホタルが持続的の飛べる野川の条件、カワニナの生息条件等の整備の取り組む 必要があると力説している。



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